tomcat_jkプロジェクトについて(Tomcat のWebアプリケーションを公開)

 技術評論者向けに、Tomcatの記事を書くことが発端となって、

 はじまったのが、

 以下の

tomcat_jk」

の一覧である。

 当初、自分が作ったのは、DB接続を行う、シンプルなServletJSPのパターンのWebアプリケーション(:tomcat_jk)である。

 以下は、その改編歴。

・雑誌気の執筆向けに、tomcat_jkプロジェクトを作成。

・データベースは、当初は、外付けのものを考えていたのだが、

「Write Once, Run Anywhere」

の標語にのっとり、

「Webアプリケーションをダウンロードするだけで可能な形式」

を実装するために、Tomcat起動と同時に起動する設定を行うことの出来る(実際には、ソースが必要だが)、HSQLDBを採用。

 プロジェクト専用の、Bean、Setなどをオブジェクト思考形式に習って、作成を行った。

・当初は、JSON、また、Strutsはまだない頃の、基本形のサーブレット。当初のものは、こちら。
http://hashimoto-net.jp/technotes/tomcat_jk.html
(解説のPDFもあるデ。)
http://hashimoto-net.jp/technotes/apache/Tomcat.pdf

Struts版も用意してあるので、いずれ開設を加筆して、ここにも登場させようと思う。
・今のところの最新では、JSON形式のデータ受け渡しをしている。

ソースの一覧は、こちら。
https://github.com/hashimotonet/tomcat_jk-src

(...to be continued)

十年を振り返る

 お久しぶり。

 今回、自分なりに、この十年を振り返っているんだが、

 ビジネスをやってきた、

 音楽をやってきた、

 なによりも、

 素晴らしい人々に出会えた、

 と、我輩は思うのである。

 そう思えるのは、今、デスクで、自分の過去のIT資産を眺めているからであろう、

 これを、このように穏やかな気持ちで眺められるのは、

 人にたくさん助けられた、十年があったからだろう。

 必然的に、我輩は感謝の思いであふれてくる。





 このはてブは、技術関連のことを、

 ウダウダするのは好きじゃないが、

 傍から見れば、

「技術系ウジャウジャ(?)」

 みたいなことを、しばらく書いてみようと思った。

 そんなことで、

 自分が、ものを書くきっかけとなったのは、

 インターネットの存在である。

 ものを書いて、それが、きちんとコミュニケートするようになったのは、

 さんざんお世話になってきた、諸氏の存在が大きかった。

 そんな中、

 今回は、

 Java系、PC-UNIX系の日記をしばらく書いてみようと思ったので、

 いろいろと書いてみる。

 続編をお楽しみに。。

(To be continued...)

だってあなたが今まで登ってきた(人生の)山が

ただの砂の粒だったりすることもある

あなたが永遠に探してきたものが

実は手の中にあったりするの

そして最終的に愛がすべてなんだと あなたが分かった時

すべての物事がすごく小さなことに見えるはず

自分を見失うのは たやすいことで

その時は抱えてる問題が果てしなく大きく感じるもの

まるで大河が あなたのすべてを飲み込むかのように

時にあなたは座り込んで 変えられないものに対して悩んでいる

間違っている事に対しても考え込んでいるの

でもね時間はひたすら過ぎていくもの すごい速さでね

一時一時を大切にしたほうがいい 過去には戻れないのだから


http://www.youtube.com/watch?v=nEQj6RrQbgA&ob=av2e

Carry Underwood / So Small


"So Small"

Yeah, Yeah

[Verse 1]
What you got if you ain't got love
the kind that you just want to give away
It's okay to open up
go ahead and let the light shine through
I know it's hard on a rainy day
you want to shut the world out and just be left alone
But don't run out on your faith

[Chorus]
'Cause sometimes that mountain you've been climbing is just a grain of sand
What you've been up there searching for
forever is in your hands
When you figure out love is all that matters after all
It sure makes everything else
seem so small

[Verse 2]
It's so easy to get lost inside
a problem that seems so big at the time
it's like a river thats so wide
it swallows you whole
While you sit around thinking about what you can't change
and worrying about all the wrong things
time's flying by
moving so fast
you better make it count 'cause you can't get it back

[Chorus]
Sometimes that mountain you've been climbing is just a grain of sand
What you've been up there searching for
forever is in your hands
When you figure out love is all that matters after all
It sure makes everything else
Seem so small

Sometimes that mountain you've been climbing is just a grain of sand
What you've been up there searching for
forever is in your hands
When you figure out love is all that matters after all
It sure makes everything else
Oh it sure makes everything else
Seem so small

Yeah, Yeah

    • *--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--

もし愛がなかったら あなたは何を得たの?

手放してしまいたい事は

心を開けば大丈夫

光を通すの そして前に進むの

雨の日には難しかったりもするけれどね

あなたは自分の世界に閉じこもって 一人っきりになりたがっているけれど

どうか自分の信念から逃げ出さないで

JavaOneの週をあけてみて


 ハロー、こんにちは。

 今日は、ゴーダマ・シッダルタ大先生の誕生日だね・

 いつもの場所で、いつものように、カフェ・ラテ、飲んでいたのだけれどね。

「ああ、来てくれましたか。。そりゃ、うれしーですが、」

のように、楽しんでいた。

 今日は、なによりも、あの大先生というよりは、

「咲いた、咲いた、さくらが咲いた」

という感じで人は集っていた。まぁ、往々にして、そんな('A`)ものだろう。

 JavaOneには行ったし、

・メゲないひと

というか、白状してしまえば、

・あれあれ、自分と同路線の人がまだ、存在することを諦めていない、プレゼンテーションをしている、

ということに、大感激していたのだ。

 なにしろね、大企業、それに伴い、外資、とまで聞くと、

・鬼畜しか生きられない

ということを先に感じてしまう自分としては、

「ここでまだ、きとくなこといに、持ちこたえる、ということで、大幅に、まだ、フロアで生きていくことをしている人がいること」

を知り(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-、自分はとても嬉しくなったのだった。

 Javaには、まだ、可能性があるのだと、自分は、悟った?

 これは出来ないかもしれないが、認識のメガネだけは、はっきりと、焦点としていたものに対して、ギリギリ(メ・ん・)?のなか、まだ人がいて、おおいに見せてくれることに、驚いた・

 というのが感想です、大きめに、このような具合でした。

 ここではプライベートまで引き下げるつもりは、自分にはあまりないので、あまり、

「もっと、赤裸々に、語ってください」

というと、自分は少々赤面したサルになるわけだが、でも、まだ、人がいる、それだけのことで、おおいに励まされたのだ。

 この項は、いずれまた増えるであろう。

(未完)

どうも、ありがとう!


 こんにちは。

 まず、このあいさつからはじめたいと、思います。

 いろいろとお話もあったのですが、テーマによっては、非常に小心者になりさがる自分でもあったので、いちばんかんたんな、こんにちは世界、から始めたいと思う。

IBMは、もはやリーディング・カンパニーではないのか」

http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20120408

 吉岡さんの記事である。

 確かに巨大な、IBMだったのだ。

 自分が一番最初に思い出すのは、まだ、子学生だった自分が、友人アパート宅で、IBMのマグネットのマスコットを入手していて、壁に飾っていたことである。

 いや、突然、就職には結びつかないと思うけれど、、自分は感じながら、ちょっといい気分になった感じで、

「あれー、一体どうやって入手したの?」

 そうしたら、友人の答えはこうである。

「研究室の仲間に、IBMに就職した人がいたから、もらったんだよー」

だそうなのである。

 ずいぶんと、ブランクのある話ではあるが、それだけ、存在感が大きくて、自分には届かない感じだった、ということだけは、記憶している。

 IBMは、80年代、巨人であった。

 さらにさかのぼれば、オラクルのワークステーション型データベースは、ベンチャーだったオラクルから出たものであって、それ以前は、超手続き型の巨大データベースをオペレーターが何人もかかって、稼働させる形式しか、なかったそうだ(言語はCOBOL?)。

 その形式とDBとで、専有的にビッグな市場を抱えていたのは、IBMだと記憶している。

 もはや、土壇場だったという話を、人づてに聞いている。

「セラミック関連のことをしていた、Internationa Business Machineの名前を関した、IBMがその社屋を築いたことで、シリコンバレーの歴史は始まった」

というのは、今となっては、懐かしい言葉だろう。

 1984年までは、という限定つきで言うのであれば、

 AppleMacによる、新たな歴史が刻まれようとした時、IBM陣営は、

「ビッグ・ブラザー」

として、数えられていた。それだけ、規模が大きかったのだった。

 しかーし、

 Macの登場によって、これらは、下記によって、明らかに塗り替えられた。

・マウスによる操作
・ウィンドウ・システム
・WYGIWYGによる、直感的な操作を可能にするデスクトップ

 これは、大いに、それ以降を変える、パーソナル・コンピュータの登場だった。

 そんな、Macで遊ぶようになったのは、

「ろくな人間のいない音楽業界で、デスクップ・ミュージックが作れるし、なによりも、自分が描いているイメージを、一人で完結させることが出来る。なによりも、自分で作れることに、魅力を感じた。」

という動機である。

 さらにさらに、1994年のクリスマスには、

Windows 95

が、発売された。秋葉原の盛り上がりようといったら、こりゃ、なかった。なにしろ、AKB48なんかが登場する以前の話であるが、知ってのとおり、こういったこと、

http://akiba.kakaku.com/event/0707/01/222222.php

も、存在するが、基本的に、海外の観光客が安での日本電気製品を求めたり、電気マニアの喜び、先端の技術アイテム(๑╹ڡ╹)╭ 〜 ♡入手、あとはずいぶん闇市くさいんだが、オーディオマニアの里でもあった秋葉原は、

・大いに湧いた(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

のであった。

 

 それからそれから、MSはAppleの、マネ、というか、イイトコ取り、みたいなことを相当していたものだ。

 Mac使いだった自分にとっては、

Windows 95のデスクトップのルック&フィールは、明らかに、Macの漢字talk7.5らを引き継いだものだった

・ニモカカワラズ、MSは、その件を認めなかったし、Appleは、それを傍観しているだけだった

ということが、Mac使いの自分には、相当気に入らなかったが、話としては、(今みたいには)、

・デザイン特許の侵害

訴訟にもいたらなかったようだし、平行線だったようである。



 自分は、基本的に、作業をひとりで進められることが、好きだった。

 そんなこんなで、(中途省略)ITやっているんだが、ただし、Windowsのデスクトップの上でばかり、ITをやっていた。

 そしてそして、さらに、自体は、(自分のあんまり好いていない)スマートフォンなどで、

・デスクトップでおちゃらけ

・楽しいo(^∀^)o タノシイ♪ものづくり

という、Windowsが時代を専有していた、時代も自分にとっては、あまり縁のない話となった。

 自分が思っているのは、

IBMの求心力の劇的な低下は、MS陣営だった、Windowsでの、デスクトップ環境から離れたところに、時代がフォーカスされた」

「そもそも、パーソナル・コンピュータの登場以降、IBMは、MSのコンピュータを作り続け、MS環境にフィットしたソフトウエアづくりを、ずいぶんと一心にしていた」

だから、MSの一人勝ちだった時代が、今はない、話になったからだ、ということなのだ。

 あと、IBM外資だが、求心力を失ってしまったことについては、ほかの日記に書いたとおりだ。それはそれで、好きにしてくれい。





 こんな、

・はしもと

ですが、Y先生、いろいろとお世話になり、ありがとうございました(=^0^=)

セキュアな・・・

 いやいや、最近大暴れ、ギター片手に世界征服・・・、と言ってはばからないはしもとだが、


 こんにちは。

 10年前に、とあるメーリングリストで語った、Webコンピューティング、翻訳関連のアイテム、まだ、残っているじゃねーか・・・!

http://ja.wikipedia.org/wiki/OAuth

・WebアプリケーションなどにセキュアなAPI認可


「セキュアな接続」

と言う言葉を、翻訳の道程で、見出したが、こっちにも話し残っているな。



 関係者の諸氏、方々、大変にご苦労様です。。。